れぽと

我々の多くは、確かに見た目を重視する傾向にある。それは社会的・文化的要因によってもたらされており、自らを商品のように扱い、少しでも良さに欠ける部分があれば淘汰するような動きは、現代社会で多くの問題を引き起こしている。
私は、人は見た目が100%ではなく、心が100%なのだと考える。
見た目というものは重要なものである。現代社会の傾向を見ても、そのことはもはや疑いようのない事実である。人は見た目によって判断される。ではなぜ見た目はそれほどまでに重要だと考えられているのだろうか。それは、表面的な部分だけで人を判断する世の中においても、我々は心も重視しているからである。
例えば、人の立ち居振る舞いや言葉遣いなど、我々が良しと判断する表面的なもののほとんどは人の内面が外側に現れて形成されているものである。背筋が伸びている人がそうでない人より好まれるのは、その内側にある、親から教えられた正しい所作を、よくきいて実践しているという育ちの良さを感じ取れるからではないだろうか。正しくないことをするのを格好の良いものだと捉えたりせず、正しいことをするのを正しいと思える素直な心のあり方が、その人の態度を見て分かるから好印象なのである。
見た目に気を使う人と遣わない人でも、見た目に気を使っている人の方が好印象なのは、単に見た目の良さにつられているからではない。似合う服を着たり、好きなものを前にして喜ばない人などいない。『人は見た目が100%』や『リアルクローズ』といった日本のドラマや、女性が好きな映画として常に上位である『プラダを着た悪魔』、これらに出てくる全くお洒落に興味のない女性たちも、似合う服、好きなものを身にまとった後は自然と笑顔と自信に満ちていた。
自分の好きなものでも避けるようになってしまう理由は、マイナス方向への心の向き方が大きいからである。
「美人じゃないから意味がない」、「どうせ」、「太っているから」、見た目に気を使わないタイプの人々は、このような諦めの言葉を美しい人への嫉妬を込めて発言する。そして、「見た目が全てなのではない」と口にする。
見た目が全てではないと語る人に限って心がひねくれて未熟なことが多い。見た目を飾るか飾らないかという問題は、元々持っている顔や身体のパーツが美しいか美しくないかが重要なのではない。好きなものや自らの喜びに素直な心や、今よりも良い姿になろうと努力する向上心に満ちた姿が重要であり、それが人を惹きつけるのである。つまり、心が見た目に気を使う人の方がきれいであるから好まれるのである。
以上より、我々が見た目を重視するのは、心を重視している故なのであると言うことができる。
しかし、若さや顔や身体の造形などに関しては、人の内面とは関わりがない。若くて美しい方が人を惹きつける。やはり人は見た目が大事なのであろうか。
この問いに対する答えは「そうではない」と言える。若い方が繁殖能力が高く、美しい方が優秀な遺伝子を残せるという生物としての本能は確実に存在する。
しかしそれは人が生きている間長期で保てるものではない。老いによって見た目の美しさは少しずつ失われてしまうので、見た目が100%なのだとしたら、老後その人の価値は無くなってしまうことになる。
また、仕事場や恋愛において、見た目がいい人は初めのつかみが良い。しかし、何度も目にするうちに慣れが生じてしまう。''美しい人''ではなく''ひとりの人''として見られるようになった時、仕事のできない人や話していてつまらない人はすぐに上手くいかなくなってくる。そこで重要になってくるのが内面である。うまくいかない仕事も真剣に取り組もうとすることができる人は、周りへの印象もよくやがてスキルアップすることも望める。恋愛においても、趣味や好きなこと、自分らしさがはっきりとあって、思いやりを持って話しかけられる人であれば、やがて外見の美しさ以上に相手の心を掴むことができるようになる。
人に評価されることばかり論じてきたが、自分だけの問題として見ても、見た目より心の面が重要であると言える。見た目の問題は、今より上を目指そうとしても今ある技術やデザインなどで限界がある。しかし、心では、良い内面を目指すのに限界はなく、常に多方面から見聞きしたことを心に反映することができる。外見のように誰かと比べて焦ったり妬んだりすることもなく、その人の生き方そのものを良い方向へと導いてくれるので、良い心を持つことはとても重要であると言える。
人は見た目を重視する。しかし、見た目を重視することの背景に隠れたその本当の理由が心を知るためだということ、そして、見た目だけでは人も自分自身も完全に惹きつけることは出来ず、健康な心のあり方においてそれが可能となるので、人は見た目ではなく心が100%だと言うことができる。

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