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カタリ派とはどんなものか」
カタリ派は、11世紀初頭頃から西洋社会で広まっていった中世のキリスト教異端運動の代表格である。10世紀頃のボゴミル派という二元論の異端を起源とし、組織立って長期的な活動は、他の異端信仰と比べても目を見張るものがある。
特に北イタリアのロンバルディア地方とランドックでは格段に普及したが、他の地域においてはそこまでの影響力を持っていなかった。
カタリ派異端のはっきりとした特徴は、これまで行われてきた洗礼の儀式の代わりに按手礼を行うこと、肉食や結婚を拒否するということである。
カタリ派が他の異端と明確に異なっている点は、カトリック教会の一元論的な教義に対して、それを真っ向から否定する二元論的な教義を持つ点である。
カタリ派の神話とはどのようなものか」
カタリ派の信じている天地創造の神話は次のようである。
人間は元々天上世界にいる天使であった。しかし悪魔が、神に戦いを仕掛けた結果敗れ、地上世界に落とされた時に天使の一部を道連れにしたのである。悪魔はそして天使を肉体という物質に閉じ込め、他にも様々な物質世界を作りだした。人間は完全者とならなければ、何度も他の肉体に閉じ込められてしまうので、現世で悪魔の作りし物質的要素と決別し、天に帰ろうとすることが務めなのである。
この神話は世界を神、善、霊魂と悪魔、悪、肉体の二つの原理として捉える見方である。それはとても二元論的な世界観を現している。また後半から、カタリ派の教義は一種の輪廻転生の思想を持っているということもいえる。

「完全者になるためには何が求められるか」
唯一最大の儀式として救慰礼を行うこと、またその救慰礼で祈るための資格を得ること、結婚しないこと、肉食を避けることや完全者と一緒でなければ食事をしない等の食制限を守ること、殺さないこと、嘘をつかないこと・誓わないこと、裁かないことが求められる。
これらのことを徹底して行わなければ、人間についてまわる悪を引きはがすことは難しいのである。

カトリックカタリ派は全てにおいて対立しているのか」
異端信仰として排除の対象となったカタリ派ではあるが、カタリ派の教えは正統と全く対立しているわけではなく、ある程度までは正統と同じ役割を担っていた。
キリスト教は元来人間の「原罪」を定めていて、地上にいる我々人間の立場に対して暗い見方をしている。それでインノケンティウス3世は、彼の著作の中でまるでカタリ派の発言のような悲観的な見解を書いている。
また、肉欲と性行為については、正統カトリックの聖職者が独身の傾向にあることから、キリスト教はいつの時代も懐疑と不信の念を抱いていたということがわかる。
悪魔についても、カトリック内でもその存在は強く信じられており、司教の説教にも登場するほどであった。
さらに、キリスト仮現説が正統内にも一部見られるということや、女性が子供を身ごもり新しい生命を世に出すということが正統内でも災いのように扱われていたことも、カタリ派と共通の点として見ることができる。

カタリ派は正統の教会からどのような扱いを受けて滅びていったのか」
教会は早い時期から、カトリック教会の統一性を脅かすこのカタリ派が着々と勢力を拡大していることに対して大きな不安を感じていた。1119年にはすでに、カタリ派の異端者がカトリックに戻るようにと、教皇カリクストゥス2世がトゥールーズにて説教を行っている。
その後も異端排除のため説教がなされたが、本格的に教会とカタリ派が対抗しはじめたのは、カタリ派の全盛期、すなわち12世紀末から13世紀初めの時期である。この時期はインノケンティウス3世が教皇に就任した頃で、彼はカタリ派断罪のために教皇特使を次々と派遣し、一部では武力行使もされた。この断罪は他の地域ではある程度容易であったが、南フランスの聖職者たちの無気力さもあり、ここでは成功しなかった。
教皇にとってカタリ派対策の大きな力添えとなったのがドミニコ会である。しかしそれでもカタリ派は一向に衰えることがなかったので、「教会は血を好まず」の原則であったが、ついに教会は十字軍の派遣に踏み切った。それがアルビジョア十字軍であった。
これは、1208年に、カタリ派を暗黙のうちに支えていたトゥールーズ伯レモン6世に破門宣告を行った教皇使節ピエール・ド・カステルノーが、その帰りにレモン6世の側近と思われる者に殺されたことが原因で、インノケンティウス3世が非常に腹を立てたのが決定的となって始まったのである。
レモン6世はこれに驚き暗殺の責任をとって鞭打たれ、十字軍の一員となることで赦しを得た。しかし教会は一度軍を起こしたからには見せしめのためにも攻撃すべきと考え、30万もの兵士が参加した十字軍はカタリ派の一大拠点であったベジエで大量虐殺を行い、「カタリ派のローマ」と言われたトゥールーズを占領するに至った。
これによってカタリ派は南フランス社会では姿を消し、モンセギュールに移り活動を続けた。
しかし再び十字軍からの攻撃を受け、備えや地形の味方によってしばらくは持ちこたえたが、1244年3月16日には籠城していた異端者は火刑台で焼かれ、カタリ派異端は終息していった。