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人間は、自分が人より優れているか劣っているかということは大変気になる。人よりも優れていると安心したり満足したりする。逆に、人よりも劣っていると、がっかりしたり卑屈になったりする傾向がある。
ルカによる福音書の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえでは、ファリサイ派の人と徴税人が登場する。ファリサイ派の人は神殿を登るときに、自分の心の内を神様の前に明らかにする。その姿は自信に満ちている。誰にも難癖をつけられないような毎日を過ごしていると自負しているのである。一方徴税人は、同じように神殿で祈るけれど目を天に上げようとはしない。自分には神様に見せられないくらい多くの罪があると思っているのである。だから、「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」とだけ神様にお祈りした。
この場合、ファリサイ派の人の方が、神に良しとされるために努力を怠らなかったので優れているように見える。しかしイエスは、徴税人のほうを良しとすると言った。それは、ファリサイ派の人が人と自分を比べているのに対して、徴税人は人との批判を脱していたからであった。さらにファリサイ派の人は、自分が人と比べてした評価と、神様が人に対する評価を同じだと思っていた。対して徴税人は、神から見て自分はどうかということを考えていたので、徴税人のほうが良しとされたのである。
私たちが人より優れた存在でありたいと思うことは、向上心を持つためにも悪いことではないといえる。しかし、人と比べてどうかということばかりを気にしていては良くないということを、このたとえ話は示しているのである。
自分が何かを行う際には、その行為に相応しい心が伴っていなければ、どんなに良い行いをしたとしてもその良さは半減してしまう。
私は高校生の頃ボランティア同好会に所属しており、学校内外で様々な活動に取り組んでいた。この同好会に、ある時期になると受験のために所属するという人が増えてくるのである。
そのような人たちは、活動に参加しても積極性がなく、ボランティアに行った先の人々とのコミュニケーションにぎこちなさや、どこかやる気のなさを相手に感じさせてしまうので、一緒に活動をする際は心配したものだった。
このように、心から人の助けになりたいと思ってボランティアに参加するのと、内申のためにボランティアに参加するのとでは活動への取り組み方に差が生まれる。したがって、何かに取り組む時はそれにのぞむ心のあり方も非常に重要なのである。
また、自分が優れた存在であるということを証明するために他人を引き合いに出すことは、相手を貶める行為なので、心を汚してしまう。よりよい人間として過ごしていくためには、他人の行為は他人のものとして尊重し、他人と比べるより、過去の自分と比べてどれだけ今の自分が成長することができたのかを見たり、自分自身の持てる力の中でどれだけベストを尽くすことが出来たのかを考えるほうが精神的に健康だといえる。
祈りの観点で見ても、「他人を軽蔑する者は祈ることができない。」「自分が、罪を犯し苦しみと悲しみに沈んでいる人間のひとりであることを自覚して、ただ神のあわれみの座にひざまずくほかはない。」
そしてもう一つ、このたとえ話は、自分のする評価が絶対だと過信することの危険性も私たちに伝えている。
人はそれぞれ違う考えを持っている。生まれ育った環境や出会った人、得意不得意などによって他人と感じ方や考え方に違いが出るのは当然のことである。それにもかかわらず自分だけのものさしで判断しようとすることは、必ず間違いを生じてしまうので気をつけなければならない。
よく陥ってしまいがちであるのが、自分がよいと感じたものをよかれと思って他の人にもおすすめしたいと思った時、相手の反応お構いなしに押し付けてしまうというものである。
例えば感動する本に出会って、それを読んだ感想を誰かに共感してほしいという欲求を持った時はもちろん、自分がその本を読んで様々なことを考えさせられ、得られるものが多かった場合に、誰か周りの人に、とりわけ仲の良い人には伝えて同じものを得られることを望むのはよくあることである。
しかしここで大事なのは、必ずしもその本をおすすめした相手が同じ感動を得られるとは決まったわけではないということである。自分が望んだ結果を相手が得られたなら、そのまま感想を話し合ったり、続編について語ることはお互いにとって実りのある時間となるだろう。
一方、相手の好みから外れていてその本の良さが伝わらなかった時、絶対に共感してもらうことを求めるあまり執拗にその本の良さをアピールしたり、再度読むことを要求したりしてしまいがちになる。けれどもそれでは相手の負担になってしまうし、そんなことをしても、その作品の良さが伝わる可能性はかなり低い。
前述したとおり、何に感動し何に価値を見出すかは人によって様々で、必ずしも自分にとって良いものが相手にとっても良いものとなるとは限らないということを肝に命じておかなければならない。
また、もう一つ大事なことは、相手の立場に立って考えることである。自分ひとりの目線から見て判断するのではなく、周りの人から見たらどうなのだろうと、客観的に物事を見つめてみることを習慣づけると、より広い視野での考え方、ものの捉え方ができるようになるので望ましい。