れぽぽぽ

私にとって「弱さ」とは、さらなる高みを目指す向上心と、弱い者への配慮や助け合いを生み出すよい人間へと導くものであり、様々な成長が見られることから「弱さ」は「強さ」だと言えると考える。
私たちが否定する「弱さ」というものは、体の一部が人より劣っていたり、貧者であったり、政治的な立場が低いということが挙げられる。
しかし、「弱い」者は「強い」者には見えない目標を立てることや、持っている以上の力を出すことが可能である。徒競走で、目の前に自分より速い人がいると普段より速く走ることができるように、目の前に自分よりも強いもの、優れたものがあった方が人間は多くの力を発揮することができるのである。また、自分よりも強いものがあるということは、これから目指すべき目標を強い人を越すということにそのまますることが可能で、目指すものがはっきりしていた方が努力をする際にモチベーションを保ちやすく、より大きな成長をもたらすことができる。反対に、他に自分より強いものがなくなると、さらに上へと目指そうとする気持ちが薄らいでしまう。明確な目標が立てられないため今のままでも十分だと怠ける心が生まれてしまうからである。
そして、「弱さ」を持っている人は、同じく弱い人の気持ちを考えることができる。例えばお金を持っている人と持っていない人では暮らしている場所さえ違うので、貧者が富者を羨んで考えることはあっても富者が貧者のことを考えることはきっかけすらないのであまり無いことである。それゆえ、この場合の弱者である貧しい人を救うことを考えられるのは、同じく貧しい環境に身を置く者である。人を救いたい、守りたいと思うことは人を強くするものである。子を持つ母が産みの辛さに耐えたり、己を犠牲にしても子を危険から遠ざけようとするように、守りたいものの前では何も無いときより痛みや辛さに耐えることができるようになるのである。したがって、人を助けたいと思う心や、助けられた時の感謝の気持ちを持つことができるのも弱者であるから、弱さとは健康な心の成長を育むことができ、守ることで強さを得られるものだと言える。
以上のことから、「弱さ」は、人に目標を持たせて向上心のある生き生きとした生活をもたらし、同じく弱い者の気持ちを考え助け合うことのできる人間性と心身の強さを形成するので、正しい人間の生き方に導いてくれるものであると考える。
そして、あらゆる面で人間を成長させてくれるものであることから「弱さ」は「強さ」になると考えられる。